薇嫁御寮             


婚礼は、最高の儀にあらずや。婚礼は、最後の儀にあらずや。と。
 

 窓の外から溢れる光が、お前の純白の衣装を照らしている。ヴェールは光合成をするように、なめらかに呼吸する。悲しみの花嫁は、僕よりもずっと白く、ずっと美しい。
 お前はぼんやりとした視線で、今日も、空を眺めていた。快晴の空は、素直に、真っ青に、どこまでも広がってゆく。お前は、この部屋にひとり取り残されたような心地で、所在無くドレスの裾を叩く。
 僕はただ、お前の溜息に身をまかせる。やわらかく生温い息は、僕の花弁を小さい波のように揺らした。
太陽はゆっくりと頂上を目指す。婚礼の時が、近づいている。


                *


 僕がこの部屋でやっと花弁を開こうとする頃にはすでに、お前は空を見ていた。
 塞ぎこんでいるお前を不憫に思ったお前の母親が、気休めに、鉢植えの僕を買ってきて窓際に置いた。お前は母親に礼も言わなかったが、それでも僕に、毎日水をくれた。太陽の光を与えてくれた。
 お前は悲しみに暮れていても、なめらかな肌を持ち、艶やかな黒髪を輝かせ、まるで造花のように此の部屋を飾る。お前は僕に、何も言わない。だから僕も、何も聞かない。
 知識あるお前は、僕が飲む水の量を知っているし、僕のための太陽が昇る時間もちゃんと知っている。僕はお前の水と光で、静かに、健やかに、窓の縁で育っていく。お前の溜息が、僕を白く透き通らせる。


 僕の花弁が丁度良い具合に開きかけた頃から、人知れず、お前が枯れてゆく。
 闇のようにベッドに腰掛けているかと思えば、忙しなく部屋の中を歩き回るときもある。黒土のように澄んだ目がだんだんと落ち窪んで、瞳の色が濁ってゆく。瑞々しい唇も、水気のない、萎れた草木のように乾き、赤い薔薇色の、澄んだ頬は、青白く、異常なほどに痩けていった。空を眺めては、僕に聞こえない声で、ぼそぼそと何かを呟いているようだった。そんな日が数日続いた。
 鈍よりと湿った風が吹く。婚礼のときが、近づいている。



               *

 

 僕に降り注ぐ溜息が止み、お前ははっとしたように立ち上がった。僕に背を向けたお前が、机を叩きつけた。紙に何かを走り書き、うめき声を搾り出すように泣き出した。嗚咽を吐き出しながら、何度も、誰かの名前を呟いている。僕は自分の棘が、僕を刺し締め付けているような気持ちがした。
 暫く机に突っ伏して泣き震えていたお前は、やっとのこと筆を置いた。細い肩がゆっくりと上下する。

 僕は泣かないで、と言った。お前はこちらを向いてくれない。僕は空を見た。誰もいない、青い空だった。
 僕は枯れてしまいたいと思った。お前の溜息で。お前の涙で。僕を枯らしてほしいと思った。今、この瞬間に、此方を向いて、僕を掻き毟るように、握り潰してくれても構わない。
 泣かないで、と言った。お前はやっと振り向いた。お前は、空を見た。

 お前は導かれるように、此方へ歩いた。窓辺に手をかけ、空を見た。僕はお前を見る。お前の手にした白い紙が2枚、ドレスからそっと零れるように、窓の外へと消えた。
紙の行方に目を流していたお前が、一度だけ、一瞬だけ、僕を見た。
 視線がほんの一瞬、まるで永遠に、ぶつかった。お前はゆるりと手を動かして、はじめて、僕の茎に触れ、其の侭、僕を手折った。お前の手は、想像よりも冷たく、夢に見たよりもずっと滑らかだった。僕の棘がお前の指先に傷をつけた。少しだけ滲んだ血液、頬から零れた涙。花弁に、茎に、棘に、お前が与えてくれる。
間近で見るお前は、生まれてから見る何よりも美しかった。
 お前は僕をその艶やかな髪にそっと差し込んだ。思い描いたよりも少しだけ乾いていた髪からはお前の溜息と同じ温もりがした。僕は、愛している、と呟いた。お前の顔を、見ることはできない。
 
 部屋の戸を叩く音がする。それは、最期の合図だった。

 静寂の、一瞬の、出来事だった。窓の手摺にその手を置いたお前は、小さく、誰かを呼んだ後、光の窓から身を投げた。お前の髪は黒く、肌は白く、ドレスはより白く、それらは青い空に投げ出され、僕は初めて空を飛んだ。風が上に吹き上げる。庭の緑が見えてきた。白い花弁たちがひとつずつ、ちぎれてゆく。
 一瞬の出来事だったのか。お前が地上にぶつかる音がした。僕は舞い散った。お前の髪と、血と、肉とともに散った。僕達の空が赤く染まった。それは本当に、一瞬の出来事だった。まるで永遠だった。
花弁がひとつ、お前の唇に口付けた。愛してる。愛してる。

 すべてが、ゆっくりと赤黒く染まる頃、僕はゆっくりと死んでいった。最期にもう一度だけ、お前を見た。
お前が、笑っているような気がした。真っ青な空に向かって。

End.

 

 

「父上様、母上様」